2010/06/15

iPadを教科書に 〜授業参観に出て思うこと

娘の授業参観に行って来た。

国語の授業だったのだが、小学生の教科書にiPad(電子書籍)は無要だと思った。


やはり頁をめくるという行為は大変重要。

子供たちの動きを見て、先生も授業を進めている。
「はい42ページ開いて〜」
「まだ開けてないね〜 教科書だよ。ノートはまだいらない!」
ページ数をタップやフリックする事では、脳は働かないと思う。
句読点を教えてた。黒板に縦書きで書いて、カギカッコや・の意味を教えている。
やはりこうゆうのはキーボードではない。

隣のクラスは、乾電池の並列・直列の授業。
キットが配られていた。風車か電球が付くのだろう。
先生が「片付けて〜電池は外す事!」
「え〜そうなの?」「わーショートする〜」
板の上では分からない。Keynoteでそうゆうシミュレーションは簡単に出来ようが、ショートするとか風が吹くとかいう体験は出来ない。

シーンとして物書いているいる所に、鉛筆落とすカランという音。
緊張感がある。

授業が終わった後の片付けも大事な躾ですね。
「はいDockで充電して〜」
やっぱ、なんか違うな。

先生が見えないところで、他の事をしでかしたくなるだろうしw

という事で、ひとつの授業として、調べ物でどんどん紐づいていく、ネットの仕組みを、世界の大きさを体験出来るものなら、本当にいいデバイスだと思う。

中学校あたりになれば、もっと使っていいような気もする。
まだ、小学生には違った脳をつくって欲しいな。

以上 iPhone4の予約日に思うこと

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